2011-11-14
「漱石 マドンナの坂」シリーズ(6) -『こころ』 3-
美禰子の家について。
※
【漱石・マドンナの坂地図】をご参照ください。
美禰子の家、現在の住所では本郷四丁目付近。
明治二年、こころあたりを、明治政府は"本郷真砂町(まさごちょう)"と名付けた。江戸時代ならば本郷古庵屋敷と本郷真光寺門前なる呼び名であったのだが、江戸幕府をぶっ潰して意気揚々たる明治の官僚はそんな呼称をバッサリやって新町名をつくったしだい。
真砂には、浜の真砂のごとくに限りなく繁栄する含みがあるとのことだが、今ではそんな目論見も真砂中央図書館などに名残りがあるのみか。一九九八年までは真砂小学校なるものもあったが、今は本郷小学校となった。
こんなつたない説明で、真砂って江戸は引き継いでいないけど、明治になってできた町なので、でも、影も形もなくなったんだ、と頭の隅にでも置いておいていただければ幸いだ。
さてと、『三四郎』を引用させていただく。
「それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家(うち)だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった」
ふむふむ、真砂町で西洋料理か、往時としては実にハイカラな雰囲気がただようではないか。
実はそんな街の景色もあたりまえといえばあたりまえ。明治の真砂町には、華族や大学教授、弁護士などなど、口ヒゲのカールした先っちょを指でなでながら、エヘン、と威張っては胸を張る方々の住まいが多かったのだ。
野々宮くんが三四郎くんを誘ってはいった西洋料理店、実はそうした富裕層がお客様だったのであろう。
そこで、漱石先生は、"江戸っ子がこんな気取った店で飯が食えるかてんだ~"とばかりに、三四郎くんに「けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった」と素っ気のない代弁をさせて、明治の本郷スタイルに背を向けたのではないか、と筆者は独り決めしては悦にいっている。
まあ、考えようによっては、帝大を卒業した学生たちの出世コースの将来絵図のひとつとして、真砂町に住むというのがあったのかもしれない。
そんな風潮を漱石先生は、下駄でぽ~んと足蹴にしたのであろう。
なんていうと、なんか本郷や真砂町の悪口を吐いているのか、とおもわれそうだがそうではない。
美禰子さんの家がある土地柄の一端をしめしてみたかっただけである。
ではついでに、他の真砂町が秘めるほかの一端も大雑把にくくらせていただく。
漱石が文学の師と仰ぎながら友でもあった男、といえば正岡子規である。
その子規の東京での一歩めが真砂町にあった常磐会寄宿舎。なにやら政治結社のような名称だが、実体は子規のくにの松山のお殿様がつくった育英宿。
そして、この宿舎は"炭団坂"なる小さな坂の上にあり、同時期、その坂の下では樋口一葉が爪に火を灯し、身をけずりながら小説を書いていたのだ。
なんてことで一葉にふってしまうと、どんどんとあらぬ方向に散歩してしまうから、これで切りたい。
『坂の上の雲』に詳しいが「正岡は毒をまきちらしている」、そんな悪口に負けて子規は常磐会を追んだされてしまう。
そこで彼がどこに行ったかといえば、追分である。そう、前回でふれた駒込追分町の下宿にさっさと越したのだ。
追分は三四郎の寄宿舎があったところでしたね。
というわけで、深読みをすると三四郎と子規が重なってしまうしだい。
次にまたも『三四郎』の引用。
美禰子が三四郎に名刺を渡す場面だ。
う~む、筆者はこのくだりで、往時の女性で自分の名刺をもつひとがどれだけいたのであろうか、それとも女性が名刺をつくっているのは大流行していたのか、そんな横道についつい迷いこんでしまう。
おっと、美禰子さんの名刺であった。
「すると、女(美禰子)は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。
名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした」
このつづきがきになるな~、というときは、『三四郎』に目をとおしていただければさいわい。
とりあえず、真砂町なるところ、筆者にとっては、漱石も子規も一葉も・・・、そのほか、なにかとごじゃごじゃと気になる所番地なのである。
■本日もお立ち寄りありがとうございます。
次回からは 『こころ』シリーズに的を絞っていきたい。
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真砂町・・・真砂っちゅ~と pengは やっぱ 石川五右衛門を 思い出してしまうの~。
返信削除「石川や 濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」って 歌舞伎の中で ゆぅ~とるじゃろ~。 まあ 架空でもあるが 伊賀忍者じゃった~っちゅ~説もあるでの~ 思い出すわけじゃ。
じゃで 真砂町っちぅ~名前と 高級住宅街は イメージ的に なじまんかったんじゃが・・・
近くに水戸さんの屋敷が あるの~。 水戸さんは 天皇さんびいきじゃったでな~ その近くが高級住宅街になるっちゅ~ことも あったんかの~(-。-)
>それとも女性が名刺をつくっているのは大流行していたのか
ふむむ~~ 美禰子さんは 女学校に いっとったんか? これは 女学校系の流行かの~? pengは 中学は 私立女子校で そんとき 名刺つくるの 流行ったことあるぞよ~。
pengさん
返信削除石川五右衛門、京都で処刑された盗賊集団とのひとりではあるようですね。
〉そんとき 名刺つくるの 流行ったことあるぞよ~。
なるほど。
美禰子の学歴、野々宮くんの妹あたりにヒントがあるかもしれないな・・・。